今ではほとんどの会社で当たり前のように支給されている賞与。読者の皆様はその起源が、近代日本以前の江戸時代にあったことをご存じですか?江戸時代の夏季賞与と年末賞与にはそれぞれの起源があり、渡されるお金の意味合いも違ったようです。ただし、経営者が賞与に込めた意味合いや原資確保に悩む部分は今も昔も変わらないかもしれません。
賞与は社員のモチベーションに大きく作用する
今ではほとんどの会社で当たり前のように支給されている賞与。
社員にとっては、賞与が住宅ローンの計算に組み込まれ、普段の生活の補填にも活躍するものであることから、生活とは切っても切り離せないものであり、大きくモチベーションにも作用するものとなっています。
労働基準法の中で賞与は、「定期又は臨時に、原則として労働者の勤務成績に応じて支給されるものであって、その支給額があらかじめ確定されていないもの(昭22.9.13 発基17号)」と法律上定められています。
名称は色々ありますが、賞与の金額や有無は原則として各企業が独自に決められることになっていますし、算定方法も企業によって違います。
ところで、この「賞与」は、いつどのようにして始まったものなのでしょうか?
意外と知らない「賞与の歴史」を本日はご紹介したいと思います。
賞与の始まりは江戸時代?!年末と夏季で起源が違うなんて知らなんだ!
労働政策研究・研修機構(特集:その裏にある歴史)によると、賞与の始まりは以下のように考えられています。
年末賞与の起源
年末賞与の起源は、江戸時代に商家で働く丁稚・手代(番頭と丁稚の間にいる使用人で商家奉行人の身分の一つ)に支給された正月の餅代と言われています。
この時代の昇進は勤続年数と深い関係にあり、勤務ぶりも加味した上で、餅代が決定されたということです。
当時は餅を買うことが、どれだけ贅沢な行為だったのか理解できますよね。
夏季賞与の起源
夏季賞与の起源は、盆の薮入り(住み込みの丁稚等が実家へ帰省できるお休みのこと)に丁稚・手代に支給されたお小遣い、お仕着せ(奉公人に支給される着物のこと)と考えられているそうです。
ちなみに、夏は冬の餅代よりも少額のことが多かったようです。
今も冬のほうがボーナスの多い企業が多いですけれど、事情は同じようなところでしょうか?!
ボーナスという言葉の起源には諸説あり?!
江戸時代は、戦国時代から「太平の世」へ移行したと共にに、商業や文化が台頭する時代でもありました。
これによって、生涯同じ所に勤める人間が増え、「滅私奉公」という言葉もこの頃に生まれています。
このような背景で、勤続年数と利益配分や給与の支給額に密接な関連性が生まれた点は、現代の賞与と非常に似通ったところがありますよね。
ちなみに、これも豆知識ですが、「ボーナス」という言葉の起源には諸説ありまして、ラテン語の“Bonus”(良い、予期せぬ収穫)とも、海外の証券市場で株式配当金を表す英語のスラング“bonum”とも言われています。
ちまたでは、そろそろ決算期末の決算賞与で悩む方が増え始めています。
何はともあれ、今も昔も経営者が社員に賞与を渡す際に、賞与に込める意義や原資の確保など、悩んでいる部分はきっと変わらないことでしょう。