加賀100万石「前田利家」の優れた経営者感覚

経営

ついに北陸新幹線が開通した。現在の終着点である金沢市は、前田家・加賀100万石のお膝元として、北陸地方の中心都市へ発展した街である。前田家の藩祖といえば前田利家に他ならない。

前田利家のイメージといえば妻にまで「ケチ」と言われるほど経済感覚の優れた人物であった。

その裏には優れた経営感覚があったことは言うまでもない。

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北陸新幹線の終着点・金沢は前田家のお膝元

北陸新幹線が開通により、東京金沢間の移動距離が1時間半短縮され、最短2時間28分で東京と金沢を新幹線で行き来できる。手前の富山県までは2時間8分と、北陸地方が一気に身近になった。今の時期なら、雪残る立山連峰も気軽に楽しめる。

金沢市・富山市は北陸地方の中心都市であり、前田家により発展を遂げた都市だ。

前田家の藩祖は、2002年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」の主人公ともなった「前田利家」である。

豊臣政権時代には、秀吉から厚い信頼を受け、後に天下を取った徳川家康と同等の大老にあり、彼が病死しなければ、家康の天下取りも難しかったとも言われるほどであった。

一方で妻である「まつ」に「ケチ」とまで言われ、常にそろばんを弾いているイメージを持たれているのも利家の特徴だ。

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利家はケチと言うよりバランスよき経営者

以下、前田利家の優れた経営者感覚を証明するエピソードをご紹介しよう。

利家自ら前田家の全決済を計算

利家は織田信長に仕えていた時代に、ミスを起こして一度家臣を首になったことがある。

その際に困窮した経験から、利家は前田家全体の決済を、一人で計算していたと言われ、前田家の財政はとても健全だった。日本最古とも言われる利家が利用したそろばんは、今でも現存している。

妻のまつには利家の計算が細かいあまり、「吝嗇(りんしょく・けちの意)と呼ばれていた。

計算は細かいが人には寛大

先述の通り、自ら決済を下して貯めた富は、自分のためのみならず、金銭の乏しい大名に貸していた。

ケチと妻に言われた利家は意外にも、死に際に息子の利長へ向けて

「こちらから借金の催促はするな、返せない奴の借金はなかったことにしてやれ」

と遺言を残している。

ケチではあっても人には寛大であったため、石高260万石の家康以上に人心を掴み、大事な決断の際は各大名の調整役として、豊臣政権下でも重きをなした。

死ぬまで印鑑(花押・かおう)を離さない

花押とは、署名の代わりに使用される印であり、会社の実印のようなものだ。

利家は死に際まで花押を肌身離さず、大事な書類を最後まで整理し続けたと言われる。自身の死後にお家騒動など遺恨を残さぬよう、家中整理をし続けた。

これらのエピソードを見る限り、利家は一国の経営者として、ケチと言うよりは、人の情けと経済感覚をバランスよく持ち合わせた有能な経営者と言える。

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新幹線開通にも利家の残した功績は大きい

加賀藩は江戸時代を通じて、徳川家を除き一番の収入を誇り「加賀百万石」とも称され、無借金で財政が潤った裕福な藩として語り継がれている。

石高の高い藩は他にもあるが、いずれも商人から借金していたケースが多い。

百万石の「石」という単位は、現在の価値にすると、1石=約10万円であるから、加賀藩全体のGDPは約1,000億円程度であったことが推測される。

加賀藩のお膝元で発展した金沢は、江戸時代に江戸・大坂・京都に続き、全国で4番目に大きな街として栄え、きらびやかな「金沢文化」を生み出す。

新幹線開通で豊かな文化都市として注目を浴びる金沢の発展に対して、そろばんをはじき、節約の精神を死ぬまで貫いた利家の貢献は大きい。

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