「経営者はビジョンを持たないとダメだ」とよく耳にすることはありませんか?ビジョンとは、はっきりイメージできる「夢」であり、曖昧なものでありません。一方で大きな夢を持っても、そんなことはどうせ実現しないと考える人もいますが、ビジョンを持った経営者にとっては、自分が諦めない限り失敗は無くなります。豊田喜一郎の例も含めて考えてみましょう。
自動車王国トヨタの礎に喜一郎のビジョンあり
「日本を強く豊かな国にしたい」という志のもとに、「気違い佐吉」「穀つぶし佐吉」と言われながらも、自動織機を発明したトヨタグループの創始者といえば豊田佐吉です。
亡くなる前の床の中で、佐吉は息子の喜一郎に尋ねます。
「おれは、織機で国に尽くした。お前は何で国に尽くすんだ?」
喜一郎は「自動車がやりたい」と答えました。
「よし、わかった」と言って、佐吉は自動織機の特許料として得た100万円を喜一郎に渡します。
それからの喜一郎、研究につぐ研究の日々、佐吉にもらった100万円を使い果たしてしまいました。
それでも見通しは立ちません。
資金に困った喜一郎は、佐吉の娘婿の利三郎の家へ増資の依頼に行きました。
「お前、車をやるのか?」
「そうだ。だが、金が足らん。貸してくれ」
「だめだ、会社を潰すわけにはいかん」
こんなやり取りが明け方近くまで続きます。
それまで黙っていた利三郎の妻であり、喜一郎の妹の愛子は、ついに涙を流しながら利三郎に訴えました。
「今、お兄さんがこのまま帰ったら豊田は残るでしょう。でも、夢は潰れます。天にいるお父さんはそんなことは喜びません。会社を潰しても、夢を潰してはいけません!」
妻の言葉を聞いて利三郎は叫びます。
「豊田家の血はどうなっているんだ。お前らは、自分は破滅してでも夢に向かっていくというのか!お前たちは気違いだ。わかった、いくらいるんだ!」
こうは言ったものの、結局、利三郎は200万円を出しました。
ビジョンとはくっきりとイメージできる「夢」
さて、ここまでの話、実はトヨタの事業を織機事業から自動車事業へ転換させるにあたり、喜一郎が社員たちを納得させるために作った、作り話だとも言われています。
ウソか本当かは別として、もしもこの時、愛子の訴えがなかったならば、喜一郎が夢を抱いていなければ、その後の自動車王国日本は誕生していたでしょうか?
ビジョンとは、喜一郎が抱いたような夢です。
ビジョンとは、ミッションを前提にして、「将来はこうする、こうなる。」という具体的なイメージ、つまり夢なのです。
しかし、ビジョンが夢だからといって、曖昧なものであってはいけません。
ビジョンとは、はっきりと思い描けるイメージなのです。
京セラの創業者である稲盛和夫氏は、「イメージはカラー映像でくっきり映し出されるくらい鮮明でなければならない」と述べています。
小さな町工場の親父だった本田宗一郎が、ミカン箱に乗って従業員を前に、「今にウチは世界一の二輪車メーカーになる」と、こともなげに夢を語ったとき、宗一郎の頭の中には、くっきりとそのイメージが描けていたことでしょう。
聖路加国際病院名誉院長であり、100歳を過ぎても現役医師として活躍する日野原重明先生は、夢について次のようなことを言っています。
願望を思い描くのではなく、その夢や目標が成就した時のことを思い浮かべ、その時の天にも昇るような喜びや達成感を想像するのだ。
すると、身を焦がすような強烈な喜びが身体を突き抜け、成功した者のバイブレーションが宇宙に発信されていく。
経営者にとって、ビジョンが如何に大事かご理解いただけるのではないでしょうか。
手段上の失敗でビジョンが消えることは無い
確かに一方で、大きな夢を持っても、そんなことはどうせ実現しないから、夢は夢のままにしておいた方がいい、という考え方もあります。
このような考え方に対して、経営コンサルタントの福島正伸先生は次のように述べています。
失敗には2つの失敗があるのです。
1つは手段上の失敗、そしてもう一つは真の失敗です。
手段上の失敗は夢を持った人は誰でも経験するものですが、それらはすべてが糧になるものです。
対して、真の失敗とは、自分が諦めた瞬間を言います。つまり、自分があきらめない限り、真の失敗ではないのです。
夢を叶えた人たちは、思い通りにならないことを、すべて成長の糧にしています。
具体的に夢を持ち、その夢をどんなに苦労しても、必ず実現すると予め決意するのです。
そうすることで、きっとその日からワクワクする毎日を送ることができるようになるでしょう。
夢は誰でも抱くことができますが、「必ず実現させる」fと決意することはなかなか出来ません。
でも、決意することがワクワクする毎日に繋がるならば素晴らしいことですよね。