武道の達人、パフォーマンスの良い野球のバッター、彼らに共通しているのは「ぼやっ」と対戦相手やボールを捉える能力を高めていることです。この能力は「分散力」と言い、古来より人間が環境の変化に対応し生き抜くために培ってきたものでした。変化の早い現代のビジネスでも、付加価値の高い業務遂行を行う上で「分散力」は重要な能力と言えるでしょう。
人間は古来から集中するのが苦手な動物だった
こんにちは。ジェネシスコミュニケーションの松尾です。
あなたは、集中力があるほうですか?
私は気が散りやすいほうで、それほど集中して仕事ができません。ですので、多少効率が落ちるのは承知で、複数の作業を並行して行い、気持ちを切り変えることでなんとか集中力を維持しようとしています。
そういえば以前、脳研究者として有名な池谷裕二氏が講演で、「人は元々、集中するのは苦手なんですよ」と発言されるのを聞いて、ちょっと安心したことを覚えています。
原始時代の人々は、大型哺乳動物に食べられる対象であり、また毒蛇に噛まれて命を落とす、といった様な危険と常に隣り合わせの生活をしていました。
このような環境において、あるものに集中することは、周囲に注意がいかなくなることを意味しており、虎のような動物の襲撃を受けたら、あっけなく食べられてしまう。
したがって、厳しい自然環境に生きてきた「動物」としての私たちは、常に周囲に気を配る、すなわち注意を分散させることですばやく危険を察知し、すぐに逃げるなどの対応ができる能力を備えるようになったのです。
スポーツ界の達人も「集中力」よりも「分散力」を重要視する
やがて時は経ち、現代に生きる私たちも依然としてこの習性が抜けておらず、「集中力」よりも、「分散力」とでも言える力のほうが優勢です。
実際問題として、集中力を発揮すべきなのは書類に向かうときくらいです。
常に環境が変化する外出時などでは、周囲の状況に意識を向ける分散力が今でもサバイバルに重要ではないでしょうか。例えば、歩きスマホは画面に集中している状態ですが、ホームでは線路に落ちてしまったり、階段で転んだりと、現実に命を落とす危険な行為です。
さて、実はここからが本題です(笑)
武道などの「達人」と言われる人たちによれば、対戦中、相手を「ぼやっ」と見ることが大事なのだそうです。つまり、相手のどこかに一点に集中しているのではなく、全体を視野に入れる。こうすることで、予測できない、どのような攻撃にも瞬時に対応できるようにしているというわけですね。
実は、野球においても、武道の達人と同様「ぼやっ」と見ることが、打率を上げるために重要であることが科学的に検証されつつあります。
NTTでは、眼球の動きを捕捉できる「アイトラッカー」という機器を使って、投手が投げたボールを追う打者の眼球運動についての研究を行っているそうです。
そして、打者の注意範囲(特定位置に集中しているか、それとも広い範囲をぼんやり捉えているか)と、打率のようなパフォーマンスの高低との関係を分析したところ、ぼんやり捉えている打者は、ストレート、スライダー、チェンジアップなどの球種の見極めの判断の正確性が高いことがわかったのです。また、ぼんやり見ている打者は、反応のタイミングが遅めであることも判明しています。
打者にとって、球種の見極めが精緻であれば、ストレートを待っていたところに遅い球がきても泳がされることはありませんし、しっかりためて打つことができる。
ぼんやりみている打者の反応のタイミングが遅いのは、しっかり球種を見極めてフォームを微修正しているからでしょう。結果としてどんな球種であれミートしやすく打率が高まるのだと考えられます。
アイトラッカーのようなテクノロジーの進展により、従来、暗黙知※であった上達の「コツ」のようなものが科学的にも実証可能となってきたことがわかりますね。
仕事の付加価値は「集中力」よりも「分散力」から生まれる
さて、仕事の「コツ」に上記の学びを適用するとしたらどんなことが言えるでしょうか。
私は、前述したように、仕事で「集中力」が必要なのは目先の書類作成くらいだと考えています。これはやがて多くを人工知能を始めとする機械が担うところとなるでしょう。
円滑な業務遂行を実現するうえでは、それ以外の時間で「分散力」を発揮したほうが、客先、上司、同僚など周囲の動きに気を配ったり、予期せぬ動きに備えることが可能となり、付加価値の高い仕事につながります。
また、日本の今の流行にばかり目を向けるのではなく、視野を広げ世界で何が起きているのか、今ではなく、将来どのような新しいトレンドが生まれてくるのか、といったところにも「ぼんやり」でいいので意識を向けておく。
激変する外部環境に取り残されず、しっかりサバイバルしていくうえで、私達が今まさに求められているのは、案外と集中していない、ボンヤリとした状態かもしれません。
※暗黙知:暗黙のうちに知っていること・できること(例:一度覚えた自転車の乗り方は月日を経ても覚えている)