江戸時代屈指の名君と語り継がれる上杉鷹山(うえすぎ ようざん)は、米沢藩の約200億円に膨れ上がった借金を返済する過程で、仕事の価値について、「働き一両、考え五両、知恵借り十両…見切り千両」という言葉を残したといいます。
上杉鷹山の言葉を元に、経営革新の実務を行う際にやるべきことの優先順位、従業員と経営者の目指すべき価値ある仕事についてキミアキが解説してくださいます。
「働き一両、考え五両、知恵借り十両」の意味
まず、「働き一両、考え五両、知恵借り十両」、これがどういう意味なのかと言うことから始めてみましょう。
この言葉は仕事の価値を表すものとして、
自ら考え自ら動くように考えて働けば、五両の価値がある。
人から知恵を借りて自ら考え自ら動くようになると、十両の価値がある。
という尊い意味が込められております。
さぁ、これを言ったのが誰かと言いますと、江戸時代屈指の名君と語り継がれる上杉鷹山先生でございます。
累計約200億円の赤字を継ぎし者・上杉鷹山先生
上杉鷹山先生は、幕末の18世紀に17歳で山形県米沢藩の藩主となられた方です。
1番有名と思われる画像がね、けっこう年配なもんですから、殿様になった後で凄く年取ってから改革したおっさん!みたいな感じで思われていますけれど(笑)
実際のところは、17歳で藩主になって、20代の若い頃からガンガン改革を始めたんです。でも、米沢藩の後を継いだ時、この藩には既に20万両くらいの借金があったんですね。
これ、現在価値に換算すると約200億円にもなるんです!
そして、よくよく計算してみたら、年間2万8千両の赤字、こちらも現在価値に直すと年間で約4億円赤字垂れ流し〜っ!というね。
この赤字をどうにかしなければいけないし、なおかつ昔借りた借金も返さないといけないということで、上杉鷹山先生いったいどうしたかというと…
なんと、上杉鷹山先生は更に借金を増やします。
そして、新たな産業をおこして、収益を残す藩の仕組み作りに成功して、72歳で亡くなりますけれど、ほぼほぼ亡くなる寸前まで借金返しの人生なんですね。
上杉鷹山方式経営革新の極意は「見切り千両」
アメリカのジョンFケネディ元大統領も、上杉鷹山先生は福祉についてもかなり充実したことをやったので、最も尊敬する政治家の1人として評価されていますね。
それで、上杉鷹山先生は17歳で藩主になってから、35歳で実は隠居しています。
35歳で隠居して、なおかつずーーっと改革を続けていった、という面白い人でございます。
この先生があまりにも綺麗に米沢藩を立て直したものですから、我々も経営革新の実務では、実は上杉鷹山方式というものをとっています。
と言いますのも、上杉鷹山先生の「働き一両、考え五両、知恵借り十両」の言葉はその後に、「見切り千両」という言葉が続くんです。
これは聞いたことがある、って方も多いのではないでしょうか。見切りには千両の価値があると。
この考え方は、実は上杉鷹山方式の経営革新の実務でも使いまして、まさに上杉鷹山先生がやったように、
- どの部門が・どのお店が赤字を流しているのか
- どの商品・サービスが赤字を出しているのか
っていうことを会計で全部調べ上げます。
調べ上げたあとは、赤字原因の血を止めます。
見切り千両で、その事業部門を閉じたり、店を閉じたり、扱っている商品、サービスをやめたりとか、すぐに赤字事業から撤退するんです。
上杉鷹山先生もたとえば、「うちの大奥赤字垂れ流しやないかい〜っ!」ってことで、いきなり100人いた奥女中を9人まで減らすんですね。
大奥事業撤退!って具合です。
こんなふうに上杉鷹山方式の経営革新では、一番最初に赤字原因の血を止めることを、見切りには千両の価値あり、という価値観で実行します。
ところが!たかだか赤字の原因が分かって血を止めるだけ、ということを殆どの会社はできません。
社長がいくら経営革新をしたいと言っていても、本心ではしたくないんではないか? と思うほど、たかだか赤字の血を止めることすらも出来ないんです。
これが普通の会社なんですね。
従業員を「知恵借り十両」の価値観で働くように教育する
もう少し突っ込みます。
仮にもし、その血を止めることが出来たら、今度は同時に従業員教育を行って、従業員の働くレベルを上げていきます。
なぜなら、多くの赤字企業というのは「働き一両」ですから、従業員が働いていないんですよ。
指示されたことだけやる指示待ちくんです。
そこでやるべきは「考え5両」をすっとばし、社員が自ら考え、自ら動くようになるために、「知恵借り十両」の価値観で動くことです。
つまりですね、社内にはもう知恵が無いんです。そういう会社には。
ですから社外のことを勉強するわけです。色々なことを勉強するんですね。勉強会、勉強会、勉強会って!
ちなみに、上杉鷹山先生も興譲館って学校を作って(再興して)、農民とか商人とか関係なく勉強することを奨励しました。
こういう革新に反抗する輩は、たとえ謙信公の時代以来の名門・古株の家臣であっても、たたっ斬るとね。七家騒動というやつです。
勉強会をやって、自ら考え、自ら動くようになって、「知恵借り十両」の価値まで従業員の質を上げていかなくてはいけないわけですから。
ここら辺は経営の意思を介在させる必要があります。完全な「経営」の仕事なんです。
こんなことすらも実はやっていないのが、多くの会社でございます。
将来の売上を生む「ひらめき百両」「コツ借り五十両」
そして、社員教育に着手した後は、「緊急ではないが重要なこと」が仕事として見えてきます。
緊急なことが血を止めること、赤字部門をまず閉じてしまうことであれば、次は売れているものを売りながら、未来を見据え始めると。
将来の売上という、緊急ではないが重要なものを徹底して考えて行きます。
将来の売上を考えていくと、ひらめきがあるかもしません。こういう新商品・新サービスを考えたと。
そうしたら今度は、「知恵借り十両」に戻ります。
まず買ってくれているお客様に、こういう新商品・新サービスを考えているんだけれども、始めたら買ってくれます?って。
「ウチは要らないなぁ〜」「いやいやウチは困ってたんだよ〜。そういうの欲しかったんだよね」って色んな意見があると思うんですが、それは買ってくれたお客様に聞くのが1番良いんです。
上杉鷹山先生も、自分が作った藩の収益が出る仕組みが実際にイケてるか聞くために、農民とか商人に「俺のアイデアどうよ」って訪ねて歩き回ってました。
水戸黄門の話は実話でないと言われますが、鷹山先生がそうやって、歩いて聴き回ったのは史実として残されている話です。
そして、それをGOしようと思ったら、コツを借りに行きます。
やっぱり「やり方」っていうのは、どの業種でもコツっていうのがあるんですね。
コツを知ってる人たち、それからノウハウ。本に書いてあることとかもね。
鷹山先生も本をよく読んだのと、あとは米沢藩っていうのは内陸藩でしたから、やはり内陸に位置する群馬あたりの人へ「どうやって稼いでるの?」ってコツを教えてもらうネットワークを持ってました。
こういう形で、ひらめき百両。コツ借り五十両とつみあげていくんですね。
これらをよくよく見ると、「アレ?それってさぁ、社長の仕事だよね?!」って思いませんか?
そうです。ひらめき、コツ借り、これは社長の仕事なんです。
社長が“ひらめき百両”の仕事を出来ているか?
中小企業の社長というのは、ひらめき百両ぐらいまでいけば、やっとこの社長の仕事ができる。
これは、経営革新をしていく中で本当によく分かるんです。
まずは見切り千両をやって、それから社員さんを知恵借り十両の社員さんにしていく。
経営者はひらめき百両、コツ借り五十両と、付加価値の更に高い仕事をやっていくと。
これが上杉鷹山先生方式の経営革新なんですけれども、「経営」というものが殆どの中小企業には実は入っておりません。
もし、経営というものを勉強したかったら、上杉鷹山先生を研究すると良いと思いますよ。
画像:ウィキペディア