『コンプライアンス』とは一般的に「法令遵守」と訳され、企業が社会的な存在として、事業選択や環境整備を行う際の判断基準を担う概念です。「コンプライアンスなんかで会社は儲かるのか?!」という意見に対する明確な答えはありませんが、コンプライアンス違反に慣れることは企業の存続に大きな悪影響を及ぼします。もしも違反が見つかったなら問題を封じ込めず、早期対策を打つのが唯一賢明な手段と言えます。
コンプライアンスなんかで会社は儲からない?
現在私は企業の法律顧問として、コンプライアンスの現場に携わっています。
『コンプライアンス』とは一般的に「法令遵守」と訳され、企業が社会的な存在として、事業選択や環境整備を行う際の判断基準を担う概念です。
ただし、実際に現場で業務を行う方々からすれば、こんなもの ただ“息苦しいだけ”の”お題目”にしか感じられないかも知れないな、と感じる瞬間が多々あります。
企業の社会的責任だなどと声高に叫んでみたところで、会社が利益を上げなければ、従業員に対する利益の分配も、雇用の安定もあり得ませんので、当然のことかもしれません。
特に中小企業においてこの傾向は顕著に現れます。
「コンプライアンスなんかで会社は儲かるのか?!」
私のようにコンプライアンスを指導する立場の者にも、この問いに対しては、残念ながら明確な答えは持っていません。
法令遵守違反の叱られ慣れが一番危険な状態
とはいえ、法令の遵守は企業の大小に関わらず、その存続に大きな影響を与える概念です。
例えば、私が深く関わる『廃棄物処理業』の分野においては、法令の遵守と「許可の停止・取り消し」は密接な関係にあります。
許可の停止は数ヶ月の停止期間内に、その業が出来ないことを意味し、取消しは事実上、事業者としての廃業「死刑宣告」を意味します。
他に柱になる事業を持たない限り、会社は廃業・倒産を余儀なくされますが、行政も決して非情ではありません。
いきなり死刑宣告である許可の取消しを通告して来ることは、余程の違法性が無い限りありません。
指導を行い、報告を求め、是正を勧告し改善を命令するなど、通常は何度にも渡り行政が改善を促してくれます。
しかしながら、この「何度もの…」が、叱られ慣れ を招いてしまうことがあります。
業を煮やした行政が、営業許可の取消しのような厳しい処分を行う場合には、『聴聞手続き』と呼ばれる、処分される側の弁明・意見を聞く場が通常用意されます。
行政に叱られ慣れた事業者は、『聴聞手続き』が開かれることを都合良く解釈し「未だ最後の砦が残っている」と考え勝ちですが、これは大きな間違いです。
聴聞の機会は『手続き』として残されているに過ぎず、この呼び出しが行われる時点では、営業許可の取消し処分は事実上「決定事項」なのです。
この時点での言い訳・抗弁は、遅きに失した“悪あがき”に過ぎないのです。
問題を封じ込めず早期対策が唯一の賢明な手段
綺麗ごとでは生きて行けないかも知れません。
その反面、法令や社会が求める責任を無視して、否、無視し続けていては、事業者としての存在が許されないのも厳然たる事実なのです。
これが、私が持っている唯一の答えでしょうか。。。
コンプライアンスの問題点を封じ込めず、事実を受け止め、早期に対策を講じることこそが賢明な経営者の判断と言えます。
また、管理職者も勇気を持って、改善の声を上げる責任があると思います。
それが、会社から求められた管理責任であり、他の従業員の人生・生活を護るということを意味するはずです。
私は幸いにして、助言を受け入れていただける会社に 顧問として採用されていますが、時折、「危ないな」と感じる会社さんの話を見聞きすることもあります。
経営者だけの責任にせず、自分には権限は無く、責任も無いと言い訳ばかりしていないで一歩踏み出す勇気を持ってください!
幸いなことに経営者の中には、コンプライアンス問題について、真剣に考えている方もいらっしゃいます。
裸の王様を見ているだけでは、あなたの会社も生活も守ることは出来ません。
私は今、その改善に気付き、勇気を持って踏み出すことを選択された会社さまと改善に取り組んでいます。
未だ ほんの一山越えたに過ぎませんが、必ず大きな歩み、即ち『法令・企業の社会的責任を守るという姿勢は、企業をリスクから守るだけではなく、取引先の信用を生み、顧客を呼び込み・引き付け、業績の向上をもたらすこと』に繋がると確信しています。