NHKの朝ドラ「あさが来た」の主人公・広岡麻子(以下:あさ)といえば、明治を代表する女性実業家である。彼女の出自は今でも日本を代表する三井グループの「三井家」であるが、三井の女傑といえば、実は三井家にはあさのお手本となった、もう一人の女傑であり三井家中興の祖・高利の母である殊法がいる。殊法の商売に対する姿勢は三井家に代々伝わり、あさも影響を受けたことであろう。
三井家にはあさが来たのあさ以外に女傑がいた
NHKの朝ドラ「あさが来た」が、目下13週連続で視聴率20%以上をキープする絶好調ぶりを発揮している。
波留が演じる主人公・広岡麻子(以下:あさ)といえば、明治を代表する女性実業家である。
男性とも渡り合う豪気で明るい性格を持った「一代の女傑」と称えられ、炭鉱に商社、銀行に生命保険会社の設立にまで深く関わった人物だ。
それもそのはず、彼女の出自は今でも日本を代表する三井グループの「三井家」であり、幼少時代から間近で商売を見て育ってきた。
さて、三井の女傑といえば「あさ」とお思いの方は多いかもしれないが、実は三井家にはあさのお手本となった、もう一人の女傑がいたことをご存知だろうか?
その名は「三井殊法(しゅほう、以下:殊法)」である。
三井家繁栄 礎を作った女傑・殊法の商売とは
殊法は物心つく13才頃に、三井高俊(たかとし)の家に嫁いだとされる。
戦乱の世が終り徳川泰平の世が始まる、大きな時代変化の中で、殊法は三井の家に入ったのだった。
代々武士の家系にあった三井家もその頃には、近江から松阪まで流浪し、結果として三井家は刀を捨て、質屋や酒・味噌の商家を営みはじめていた。※1
高俊は武家の出(父の代まで)ということもあったのか、連歌や俳諧などの遊芸を好み、商売には関心が薄かったという。※2
ここで実質的に三井家を取り仕切ったのが、嫁の殊法だった。
殊法は自ら店頭に立ち陣頭指揮を取りながら、以下のようなサービスを質屋商売に取り入れた。
- 低利質入れ:他の質屋よりも低利で質物を仕入れ、お金を薄利で貸した
- 質流れを取り入れる:当時はお金を返せない人の質物を取るだけではなく、債権も残す質屋が多かったのを、殊法は質物を買い上げるだけで済ませた
「勝算あらば薄利多売でもまずは顧客に有利なサービス」を殊法はやってのけ、結果として質屋商売で得た資金を使い、三井家は江戸へ向かう。
その精神は、殊法の末子で「三井家中興の祖」と呼ばれる三井高利に受け継がれる。
高利が江戸で開いた「三井越後屋呉服店」の商法に殊法の影響が見て取れる。
1)店前(たなさき)売り・現銀 (金) 掛値なし
呉服は当時高価なものであり、掛売り販売が主流だったため、信用や担保がある富裕層にしか手の出せないものであった。
店頭に品物を置く「店前売り」は在庫リスクにもつながるため、同業者には一般的に嫌がられ、販売方法は「見世物商い」や「屋敷売り」が主流だった。
これを越後屋は、顧客がお店に直接来るように店前売りを行い、更に現金で購入するのであれば、安価(薄利多売)で誰もが呉服を購入できるようにした。
2)反物売りではなく切り売りを行う
当時の呉服屋業界では呉服の布は1反単位で売るという常識があった。
しかし1反単位での購入単価は非常に高く、庶民の手に届かないものであり、1反も使わず布を余せば購入側にとっては損となる商慣行であった。
そこで越後屋は、布の購入単価を安くし庶民にも買い求めやすくできるように、布の販売単位を反売りだけでなく、切り売り販売もできるようにした。
更に当時は異例だった、「仕立て売り(今でいう促成オーダー仕立て)」を店内で行うことで、更に庶民から指示を得た。
殊法の勤勉な精神はあさにも受け継がれる
越後屋は旧来の慣行を打ち破るビジネスモデルを打ち立てたことで、同業者から迫害を受けたが、庶民は自分たちのニーズに合わせて商売を行ってくれる越後屋を選んだ。
結果として、越後屋は豊富に入ってくるキャッシュを更に両替商として為替で運用し、江戸時代に莫大な富を築いていくことになる。
殊法が子の高利に教えた「勝算あらば薄利多売でもまずは顧客に有利なサービス」という概念が、江戸時代における三井家の発展において礎となったのだ。
殊法は倹約家であり、華美を好まず、常に勤勉であったという。※2
幕末から明治維新へと移る激動の世にあって、自らの商才で新たなビジネスの世界を切り開いた子孫・あさも、殊法の商売に対する姿勢をお手本としたことだろう。
参考:
※1 三井広報委員会
http://www.mitsuipr.com/history/hitobito.html
画像:ウィキペディア