軍師黒田官兵衛に学ぶ 戦上手は節約上手

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大河ドラマで脚光を浴びている黒田官兵衛。太閤秀吉の天才軍師として活躍し、後に将軍家康が一目置き、福岡藩52万国の祖となったことがクローズアップされやすい。

黒田官兵衛が戦上手だった理由は日頃の「節約術」にあった。

企業も勝負時に備え普段から如何に節約を行うことが大事か、偉大な軍師は教える。

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秀吉家康が恐れ尊敬した男 黒田官兵衛は節約家

10月に入り大河ドラマ「軍師 官兵衛」が関ヶ原の合戦へ向けて時を進め、いよいよ佳境を迎える。

主人公は天才軍師「黒田官兵衛(如水)」である。

官兵衛は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名であり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の軍師・ブレインとして仕え、江戸幕府時代には大藩・福岡藩52万3千石の祖となった。

軍師としての華々しい側面がクローズアップされやすいが、官兵衛が活躍できた理由は、日頃から地道な節約を行っていたからだと言って過言ではない。

以下、官兵衛の節約エピソードをまとめた。

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節約上手はケチならず 優れたコスト感覚

1)常に蓄財し、いざという時のキャッシュを蓄えた

不要になったものを家臣に恩賞としてタダで与えず妥当な価格で払い下げ、蓄財に励んだ。

関ヶ原の戦いでも九州で島津軍に対向する即成軍9,000名を豊富な資金で調達した。

集まった兵に惜しみない恩賞を与えたため軍の士気は高く、東軍(家康側)の九州制圧に大きく貢献した。

節約上手でありながら、決してケチではなかったといえる。

2)既存資源を将来有効活用するため、合戦で兵糧攻めを多用

合戦において官兵衛は兵糧攻めを重用し、巧みな交渉と調略で敵を降伏させた。

官兵衛の戦略は、人的資源を最小限の損失で確保できると同時に、城を毀損の少ない状態で確保することが可能なものだった。

重要な合戦になるほど、かけるところ(食費、工賃)に費用をかけ、人を失わない戦略を取ることで、かえって合戦を短期間で終了させてお得な結果を得た。

3)エコで堅固な城作りを心がけた

築城の名人であり、姫路城や大阪城等今に伝わる名城を作ったが、建築コンセプトは「兵糧攻めを物ともしない城」であった。

例えば大阪城は幾重の堀に菜園を作れるよう設計し、家康が大阪の陣で持久戦に持ち込まれ大苦戦する原因を作った。
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遺訓にまで節約ワード 軍師は偉大な節約家

黒田官兵衛の遺訓は「人に媚びず、富貴を望まず」で、更に当時当たり前のことであった家臣の後追い自殺も一切禁止した。

コストをかけて育てた人材を藩が失なわぬように最後まで節約の精神を貫いたのだ。

歴代藩主は官兵衛の教えを守り、質素倹約に勤めた。福岡藩は財政的にゆとりを持った藩経営を行った結果、約300年江戸幕府で大藩としての地位を確保し続ける。

時代は変われど地道な節約の積み重ねは結果として繁栄につながるのだ。

画像提供:ウィキペディア「黒田孝高」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AD%9D%E9%AB%98

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