サラリーマン社会が形成されて約1世紀。昭和3年(1928年)に前田一(まえだ はじめ)が著した「続・サラリーマン物語」には、今と変わらず仕事に悪戦苦闘しながらも、一方でちゃっかり出張手当を浮かそうとするサラリーマンの姿が、面白おかしく描かれています。当時の出張手当なども合わせて、約100年前のサラリーマンの風景をかいつまんでご紹介します。
100年前のサラリーマンを描く貴重な本「続・サラリーマン物語」
近代ニッポンのサラリーマン社会が、現代私達が知るそれとして整備されはじめたのは、大正中期から昭和初期にかけてのこと。
ここから数えると、この国でサラリーマン社会が形成されてから、既に1世紀が経った計算となります。
さて、サラリーマンの日常やっていることは、仕事の手段が飛躍的に進歩し、扱う商品が変わった以外は、100年前も全く変わりません。
昭和3年に前田一(まえだ はじめ)が著した、「続・サラリーマン物語」を見ても、定時に出社し、悪戦苦闘の午前業務を終え、昼過ぎには少し喫茶店で抜く時間を作り、夕刻には「早く仕事を終わらせ飲みに行くか、帰りたい」と考えるサラリーマンの姿は、100年前も、現代のサラリーマンも、似たり寄ったりです。
ちなみに前田一は、サラリーマンという言葉を日本に広めた人物で、日経連の初代専務理事を務めた経営者でもあります。
今日は、この本の「サラリーマンの息抜き『出張命令』」という章で、100年前の旅費規定について触れる部分があるので、皆さんにご紹介したいと思います。
当時のサラリーマンの経済感覚を知る上で、参考になる資料と言えるでしょう。
約1世紀前のサラリーマンがもらっていた出張手当の金額
約1世紀前から日本の大手企業では出張手当が、社内規定できっちりと定められていたようです。
以下は、皆さんもご存知の企業が約1世紀前に定めていた出張手当です。
当時の1円は現在だとおおよそ3,000円の価値を持つので、金額は本に書かれたところから、現在の貨幣価値に換算して記載します。
三菱合資会社(三菱財閥)
役職 | 日当(各費用手当含む) | 汽車のクラス | 船のクラス |
社長・役員クラス | 12万円 | 1等車 | 1等室 |
理事・子会社社長クラス | 9.9万円 | 1等車 | 1等室 |
部長クラス | 8.1万円 | 1等車 | 2等室 |
課長クラス | 6万円 | 1等車 | 2等室 | 平社員クラス | 4.8万円 | 1等車 | 2等室 |
出張手当は社長と平社員では、約3倍の差が開いています。
社長になれば各種費用を賄うとは言え、1日で12万円の出張手当をもらえるのは嬉しいところですよね。
汽車の1等は今で言えばグリーン車にあたり、平社員も乗って良いとしていることから、三菱が社員に対して大盤振る舞いだった様子が伺えます。
安田銀行(現・みずほ銀行)
役職 | 日当(手当) | 宿泊料 | 汽車のクラス | 船のクラス | 陸路の交通費(約4kmあたり) |
重役クラス | 4.5万円 | 6万円 | 1等車 | 1等室 | 3,000円/約4km |
部長・月給105万円以上の社員 | 3.6万円 | 4.5万円 | 1等車 | 1等室 | 3,000円/約4km |
月給75万円以上の社員 | 3.0万円 | 3.6万円 | 2等車 | 1等室 | 3,000円/約4km |
月給45万円以上の社員 | 2.4万円 | 2.3万円 | 2等車 | 1等室 | 3,000円/約4km | 月給24万円以上の社員 | 1.8万円 | 2.4万円 | 2等車 | 2等室 | 3,000円/約4km |
安田銀行の場合は出張手当自体は少ないが、宿泊料をトータルすれば、社長は10万円以上を1日にもらえることになります。
興味深いのは、陸路でかかる交通費については、1里(約4km)あたりで3,000円程度を、社長から平社員まで一律としていたことです。
当時の安田銀行は、活動にかけるお金は惜しみなく出す社風だったのでしょうか!?
出張10日分の手当で月給分を稼ぐ社員も!
「続・サラリーマン物語」は、当時のサラリーマンの多くが出張手当を浮かすために、あの手この手を使っていたことも記しています。
あるサラリーマンは、10日間の出張に出かける時に、
- 汽車で2等車に乗る運賃60,000円をもらっておきながら、3等車に乗って片道30,000円を浮かし、交通費で往復60,000円をプール
- 宿泊費用を1日あたり15,000円、10日トータルで150,000円をプール
といった荒業の節約をやりのけて、出張に行くことで月給に近いお金を浮かせていたようです。
ただし、このサラリーマンは切符をケチったために、汽車でまともに寝られず睡眠不足に陥り、車内では赤ちゃんに小便をかけられ、宿ではいかがわしい人間に迫られたりと散々だったようで、筆者はこれを「旅費の半分を稼ぎ出す経済方法、総じて金儲けなどといふものはつらいものではある」と評しています。
人のやろうとすることは、今も昔もあまり変わらないですね。