昔の人々は、全く説明のつかないモノや現象を”神”のせいにせざるを得なかったわけですが、その意志の表れを「天命」に当てはめました。記録的に順位が確定するものと比較して、人間の審査基準による判定の点数が順位に影響を与える審査は、不公平に見える場合もありますが、果たしてどうなのでしょうか?
教え子が五輪エンブレムで見事に選抜された
2016年4月25日、新聞の一面に五輪エンブレム決定の報道が載っていて、坊主頭の男性に心当たりがありました。
31面の関連記事をめくってみると、当選したデザイナーの出身大学が掲載されていて、東京造形大学と書いてあり、成る程と嬉しくなりました。私の20年前の教え子でした。
学生時代は無口で、じっくりと物事も、課題もやっていく、実直型タイプでした。
卒業してから自分のテーマを「繋げる」「結びつく」「くっつく」などにして、成る程という作品を発表していました。彼は、東京開催ではなく、「江戸開催オリンピック」のような気持ちで描いたような気がします。
盗作疑惑でもてはやされた旧エンブレムが選考から外された経緯もあり、古くから言われていることわざ「人事を尽くして天命を待つ!」を見た気がしました。
浅田真央がキムヨナに勝てなかった理由とは
オリンピックに関連して言うと、北京オリンピックで優勝を果たした韓国のキムヨナ選手と準優勝になった浅田真央選手の明暗を分けた結果を「人事を尽くして天命を待つ」の原理で解説してみましょう。
年齢も、経験年数も、練習量もほぼ同じ二人が、世界大会での成績の入れ替わりの末に迎えた”世紀の祭典オリンピック”の舞台に、その戦いは持ち込まれました。
競技後の二人の言葉に、キムヨナの精神世界での順位の優位がうかがい知ることが出来ます。先に滑った浅田真央は、最初の難技トリプルアクセルを成功した瞬間「ひょっとして金メダルを取れるかも!」と一瞬思ったそうです。
それに対して、キムヨナは浅田真央の点数も歓声も気にせず、「ただパーフェクトに近い演技をしよう!」とだけ思ったそうです。
浅田真央は難技を成功させた一瞬の気の緩みが、次の技をつまづかせ、自らの「潜在意識で銀メダル」になってしまいました。
一方キムヨナは、技の構成点では浅田真央に劣っていても、自分が出来る技を完璧近く演じるだけという意識で滑り、金メダリストに一番近い精神の持ち主として、「天命を引き寄せた」のです。
真剣に努力する人には不思議な力が加勢する
昔の人々は、全く説明のつかないモノや現象を”神”のせいにせざるを得なかったわけですが、その意志の表れを「天命」に当てはめたわけです。
オリンピック競技の中で、ドーピングが無いものとして記録的に順位が確定するものと、得点を競う球技と、人間の審査基準による判定の点数が順位に影響を与えるものがあります。
前者は、陸上競技や水泳競技のタイムを競うもので、その次は公平なジャッジを原則としたサッカーなどの球技で、最後は体操競技や新体操やフィギアスケート競技などです。
記録的に順位が確定するものや、得点を競うものは比較的に公平ですが、人間が自分の価値判断で芸術点として点数を評価する場合には、その判定評価に不満が表出するのは、神でもない人間の未熟さとして黙認するしかないのかもしれません。
しかし、あらゆる分野に、「人事を尽くして天命を待つ」現象が起きているのは、まぎれもない事実であり、会社社長やリーダーはその原理を確信して、人事を尽くさなければなりません。
ある目標に挑んでいる人がいて、強敵が何千人いようとも、他の誰よりもその仕事を愛し何倍も努力している人の目標を、達成させてくれるのだと思います。
その原理の実践が「人事を尽くして、天命を引き寄せる」ことになるのです。