百姓という言葉は「農民」という意味で浸透しているが、言葉の語源は「百人の姓を持つものたち」、つまり一般市民全員を表す言葉であった。従って古来において百姓は、医師であり美容師であり僧侶だった。サラリーマンが優遇されていた時代は終わりを迎えつつある。新しい時代に我々は、「自分で自分の糧をまかなえる」ことを常識としなければならない。
もともと百姓は農民を意味する言葉ではない
”百姓”という言葉を聞くと、読者の皆様はどんなイメージを持たれるだろうか。
おそらく大多数の人が「農業に従事する人」とイメージするだろう。
確かに現在、百姓という言葉は「農民」という意味で浸透しているが、言葉の語源はまったくその姿とかけ離れたものである。
百姓とはもともと「百人の姓を持つものたち」、百は古来の日本で「たくさん」を意味するので、「たくさんの苗字の人々」「一般市民全員」を表す言葉として、古代より使われてきた。
現代のように百姓という言葉が、農民を指すようになったのは、江戸時代後半から明治時代にかけてのことである。
考えてみれば、江戸時代以前の国土はほぼ田畑と森林であり、貴族や侍など一部を除けばみな農業に関わっていたはずなので、「すべての人」を意味する言葉として、「百姓」が使われてきたことが納得できる。
百姓は医師であり美容師であり僧侶だった
古来の百姓はどのように生計を立てていたのだろうか。
現在と同じように、農業を専業として生計を立てていた人々もいたが、多くは”兼業”として農業に従事していたことがわかっている。
大工、鍛冶は、職人あるいは百姓が営んでいたが、木挽、屋根屋、左官、髪結い、畳屋は、多くの場合専門の職人などおらず、百姓が畑の合間に営んでいた。
宗教者については、寺は僧侶だったが、神職については「百姓神主」の割合がかなり高かったとされている。
また、医者、商人、漁民も百姓が営むことが多かった。
七変化とはまさにこのことで、百姓が1つの仕事にとらわれず、臨機応変に世の中から必要とされる仕事を兼業していたことが分かる。
百姓とは、農業に従事する人というより、”町で必要とされる仕事を数々こなしていた大勢の人々”という意味で捉えることができる。
これから百姓が元気な時代がやってくる
現代において、1つの会社に勤務し、その会社へ時間を切り売りした上で、安定したサラリーを得ることは常識となっている。しかしこの就業形態は戦後まもなく始まったもので、まだ70年程度の歴史しかない。
しかし終身雇用や福利厚生など、サラリーマンが優遇されていた時代は終わりを迎えつつある。新しい時代に我々は、「自分で自分の糧をまかなえる」ことを常識としなければならない。
さまざまな職種、業態、立場を掛け持って生きていく人は今後どんどん増えていくだろう。世の中のニーズに合わせて七変化する「百姓」が増えていくのだ。
百姓という言葉が有する本当の意味を知った時に、これからの時代が見えるかもしれない。