「会社は経営者の器以上に大きくはならない」「A社の社長は、B社の社長とは器の大きさが全然違うよ。」経営者は必ず「大きな器(うつわ)」という言葉でそのあり方を語られます。対して、孔子は「君子は器(き)ならず。」という言葉をも残しました。経営者に求められる「大きな器(うつわ)」とは、一体何なのでしょうか?
経営者の能力を語る時に必ず出てくる「器」という言葉
「経営者は器が大きくないとダメだ」
「会社は経営者の器以上に大きくはならない」
「もっと大きな器を持って経営に当たらないと、部下は付いてこない」
「A社の社長は、B社の社長とは器の大きさが全然違うよ。」
経営者を語る時、私たちは常に「器(うつわ)」という言葉が、一緒に付いてくることに気が付きます。
「大きな器」が必要だと言われる時、私達はつい他人との比較を行い、その結果として失望することすらあります。
しかし、経営者に求められる本当の意味での「大きな器」とは、人との比較や競争によって生まれるものではありません。
孔子の教えに尋ねてみましょう。
孔子は君子に決まった「器」となることを求めなかった
子いわく、
君子は器(き)ならず。【出典】論語[為政]
これは、孔子が論語で述べた、短くも深い意味を持つ言葉です。
考えて見れば、器(うつわ)というものは全て、ある目的のための専用につくられるものです。
- 食器⇒食べ物を入れるための器
- 茶器⇒お茶を入れるための器
- 洗面器⇒洗面のための水をいれるための器
私達は、これらの器をその大きさや形状によって、価値のあるなしを判断するでしょうか?
いいえ、そのようなことはありません。用途に応じて、それぞれに価値が発生すると考えているからです。
あなたが、専門家として生きるなら、目的のための器となり、仕事をしていくのがよいでしょう。
しかし、孔子が理想的な君子の姿として求めたのは、「ある一つのことだけの専門家であってはならない」ということです。
企業にとっての君子、それは経営者です。
経営者に向いているのは「才人」ではなく「徳人」
ところで、東洋運命学では、その人が生まれながらにしてもっている潜在能力をみることができます。
人は、大まかに10種類の能力を持つことができますが、「少ない種類の能力を偏って持って生まれる人」のことを「才人」といいます。
これに対して、「いろいろな種類の能力をバランスよく持って生まれる人」のことを「徳人」といいます。
才人は、専門家になることがよいとされていますが、徳人は、リーダーとして、他の人(専門家)を動かしていく方がよいとされています。
どちらがいいということではなく、自分が持って生まれた能力を活かしきることが最上だということを忘れないようにしたいです。
経営者に求められる「大きな器」とは、その時々の目的に応じて、姿を変えられる柔軟なあり方を指すのかもしれません。