東日本大震災から6年が経過しました。星野リゾート社長、星野佳路氏は福島復興のきっかけを作るなら、「福島の県名を変えるべきである」という大胆な主張をされています。そこで本稿は、この星野氏の主張を元に、「ブランド」について考えてみたいと思います。あくまでも「ブランド」という観点から見た時に、読者の皆様は県名変更についてどう考えられますか?
星野リゾート社長が福島県の県名変更を提唱
こんにちは。ジェネシスコミュニケーションの松尾です。
今年(2017年)3月11日で、東日本大震災から6年が経ちました。
被災地の復興は着実に進んではいるものの、被災地から関東など他の地域に避難している子供たちの中には、いわゆる「原発事故いじめ」を受けている子もいるなど、いまだ様々な問題を引きずっていますね。
「風評被害」もまだまだ残っていますが、とりわけ観光需要の回復が大きく遅れています。このところ、外国人観光客が急増しているものの、外国人の訪問先は東京以西に偏っており、東北地方は「一人負け」です。
このような状況を受けて、星野リゾート社長、星野佳路氏は、
「福島の県名を変えるべきである」
という大胆な主張をされています。
今回の記事では、この星野氏の主張を元に、「ブランド」について考えてみたいと思います。
福島県の県名変更をブランド論の視点から考えてみよう
星野氏によれば、東北地方の中で、例えば「青森」はかなり観光需要が戻っているのに対し、福島は取り残されているとのこと。
海外で日本観光の魅力を語っても、「フクシマ」の名前を出した瞬間に拒否反応が出るのだそうです。
海外では、いまだ、フクシマ=原発事故のイメージが強烈なのです。
では、なぜ県名を変更したほうがいいと星野氏は提案しているのでしょうか?
この理由をお伝えする前に、「ブランドとは何か」ということについて簡単に説明しましょう。
「ブランドとは何か」という説明をするのに、私が一番わかりやすいと思うのは
「ブランドとは、一人ひとりの脳の記憶の中にある『小箱』である」
というものです。
この小箱には「伊勢丹」「JAL」など、ブランド名称がついています。そして、小箱の中には、各ブランド名称に結び付いた様々な記憶が入っているのです。
例えば、「伊勢丹」という小箱の中には、「デパート」、「新宿」、「ファッション」「洗練された」など、伊勢丹についてこれまで見聞きした情報やデータ、また、自分の体験を通じて得た認識や評価、感情などが入っています。
すなわち、この一人ひとりの脳内にある、特定のブランドに関する記憶の固まりが「ブランドの小箱」というわけです。
そして、また新たにニュースなどで「伊勢丹」といったブランド名称を見聞きすると、伊勢丹の小箱の中の様々な記憶が呼び起こされるのです。
さて、本題に戻りましょう。
今、「福島」の小箱の中には、「豊かな自然」「おいしいお米」など、ポジティブなイメージが含まれている一方で、「原発事故」というネガティブイメージが6年前に入りました。
この「原発事故」というネガティブイメージは極めて強烈であるがゆえに、他のポジティブイメージを覆い隠してしまうほどの力を持っていると思われます。
このため、「フクシマ」と聞くと、多くの人が真っ先にあの忌まわしい原発事故を思い出し、否定的な感情が湧き出してしまう。これが、福島への観光客増加を阻害しているのです。
問題は、「フクシマ」という小箱の名称と、その中味のネガティブなイメージの結びつきにあります。
だから、星野氏は「別の県名をつけましょう」と提唱しているわけです。
ブランド論の視点から見ると星野氏の主張は妥当性が高い
仮に新しい県名がつけられたとします。
その新しい件名の小箱の中は、現時点では空っぽです。結びつく記憶が存在しません。
もちろん、「元福島県」という事実を隠すことはできないものの、ほぼゼロベースでの「出直し」が可能となります。
そこで、元福島と呼ばれていた地域の魅力を改めてアピールし、小箱の中にポジティブなイメージを再び格納してもらえるようにすればいいのです。
ブランド論の視点で見ると、星野氏の「県名変更すべき」という主張は妥当性が高く、観光客を呼び戻す効果も大きいと考えられます。
もちろん、福島県の皆さんにとっては、「福島」の名称を失うことはとても辛いことだと思います。
福島で生まれ、育ち、人生を送る中で得た、たくさんの記憶と、「福島」というふるさとの名前は強く結びついているからです。
県名の変更という提案に対して、福島の方は、「頭では理解できるけど、心では受け入れがたい」という複雑な気持ちに置かれることでしょうね。
さてさて、星野氏の提案は実現するのでしょうか・・・