高い自己評価や自信は先に手にあるべきもの
どうも皆さんこんにちは。脳科学教育コンサルタントのクロスです。
今回お話をする内容は、『自己評価は後からついてくる?いやいや、初めから自己評価は高いほうが良いんだよ。』というものです。
「自信が付くまでしばらく仕事は休む」という話を、最近どこかで聞いたんですよね。居酒屋だったかな??
彼は元々、仕事をしているんですけれど、色々あって会社を辞めて、しばらくお休みに入りたいんだと、そういうことを言ってました。
ただし、鬱ではなかったみたいです。
やる気が低下してしまったのか、あるいは自己評価が下がってしまったのかわかりませんが、自信がなくなってしまったみたいです。
そしたら、相談していた相手が、こういうふうに励ましてたんですよ。
「自己評価とか自信は後からついてくるから、とりあえず続けなよ。」っていうふうに。
それを見て、脳科学の見地から私は、「いやいやいやいや、逆逆逆。それじゃ本末転倒だから!」と思ったわけです。
何がどう本末転倒なのかについては、二つの側面から考えてみることが可能です。
まず一つ目の側面として、先程の二人の会話は、『自己評価』という言葉の意味をそもそも履き違えています。
二つ目の側面として、脳科学的に見ても、『自己評価』は初めから高くないとパフォーマンスが発揮されないので、『自己評価』に見合った能力や、他人からの評価は獲得する事が出来ないんですね。
「自己評価=自分が下す自分に対する評価」である
まず『自己評価』という言葉の意味について解説しますね。『自己評価』とは、「自分が下す自分に対する評価の事」ですよね。
仮に、もし私が「俺は最高だ」「俺は完璧だ」「俺が常にオリジナリティがあって俺が世界を変えるほどの能力を持っていて、俺が牽引していくんだ」「俺はそんな人間なんだ」と思っていたとします。
こうなると、「自分に対する自分への評価」は非常に高いっていう事ですよね。
逆に、「いやー俺なんて駄目だよ」「俺なんてそんなどうせくだらない人間で何も出来ないんだ」「俺なんかがいなくたって世界なんか変わんないよ」「変わりもしない気付きもしないよ」なんて思ってたら、自分に対する自分への評価が非常に低い状態です。
じゃあ、もし仮に、他人が「お前は凄いやつだ」「お前は天才だ」「お前がいるからこそこうやって世界は変わっていくんだよ」というふうに褒めてくれたとします。
それに対して、私が「わーい!」と喜ぶんだり、「嬉しいー!」と思うかと言うと、普通ならば嬉しいですよね。
私だって褒められたら嬉しいです。ただ、それで自己評価が変わるのはおかしな話です。
なぜおかしいのかと言うと、「自分が下す自分に対する評価」は自分が決めるんですよね。
自己評価は他人が決めるものではなくて、自分が決めることです。
ということは、他人に褒められて「わーい!なんだか自信ついてきた!」「なんだか褒められたな!」となった時は、自分が下してる自分への評価に、他人が下した自分への評価が混ざっちゃってるんですよね。
他人の評価と自己評価が一体化しちゃってるわけですよ。
逆に「お前はクズだ」「お前がいるせいでこの学校は駄目になっていくんだ」「お前は腐ったみかんだ」と言われたとしますよね。
それで自己評価が下がったとしたら、かなりおかしい話です。
他人が何か自分に対して評価してきたのを、自分がそれを取り込んで「自分で決める自分に対する評価」まで、なぜか下がっちゃってるんですよね。
「それっておかしくない?なんで連動するの?」という話なんですよ。
自己評価を高めるには大きな目標設定が必要
つまり、『自分が自分に下す評価』と『他人が自分に下す評価』が連動する必要はありません。
「自分は自分」で勝手に自己評価を常にキープしていればOKなんです。他人からの評価?そんなものは全部ゴミなんです。
例外として、子供や部下も、最初はやっぱり、自信つけさせる為にも成功体験をいっぱい積ませて、「頑張ったね」と言ってあげる、プロセスを褒める・認めるのはもちろん重要なことです。
ただ、「お前は天才だ!」「お前は100点の人間なんだ!」「お前は100点取れたから次も絶対100点取るんだぞ!」とか言っちゃうと、自己評価と他人からの評価が混ざっちゃう事になりかねませんよね。
良い意味でも悪い意味でも、自分の評価が他人に振り回されてるんです。
それは、あってはいけない事です。自分の評価は自分が好きに決めていいんですよ。めちゃくちゃマックスなんだったら、マックスでいいんですよ。
なので、他人からの評価なんかじゃなくて、自分に対する自分の評価をまず決めましょう。
決めるからにはマックスに高くして欲しいんですよ。
ただ、マックスに高いのでは、非常に曖昧なぼんやりとした評価しか出せないので、何か目標を立てておいてほしいんです。
一つ、もしくは二つくらい、何か大きな目標、いいなと思う目標、心から自分にとって『Wantto』な目標を決めてほしいんですよ。
例えば、「神戸市をもっと賑やかにさせる」であったり、「色んな国の人たちが仲良く暮らせるようなコミュニティを作りたい」とか。
もっと大きなものでも全然OKです。
「日本にいる全ての親と子供を幸せにする」とか、あるいは「世界から完全に戦争をなくす」でも大丈夫です。
目標を持って自分で目標を肯定すると自己評価が高まる
まずは、これくらい大きな目標を何か一つ、二つくらい立てたとします。
何で、そうやって目標を少ない数に絞っていく必要があるかというと、記憶の検索や連想記憶を効率化するためです。
目標は絞ってください。
絞れば絞るほど選択的注意機能のおかげで、連想記憶を引き出せたり、目標に関連する情報が出てきたり、入ってきたりします。
そして、その目標を掲げている自分に対して、「私は目標を達成出来るんだ」「私は目標を達成出来て当然の、最高のベストな人間なんだ」っていう自己評価を持って欲しいんですよ。
これができると、『エフィカシー(自己効力感)』が形成されるようになっていきます。
仮に、私が、
- 「世界から発達障害を完全に改善する・治療する・予防出来るような環境を整える」
- 「10年以内に地球全体で完璧にそれを出来るようにする」
というゴールを作ったとします。
私はどんな自己評価を下せばいいかというと、
- 「私は発達障害を改善させており、世界中の人々のために幸せなコミュニティを沢山作っている」
- 「完璧な予防もしているし、完璧に治療も出来ている、完璧に改善も出来ている」
- 「私が動くことによって、あらゆる面において発達障害という言葉、あるいは脳機能障害といった言葉は全て消えてなくなる」
- 「そんな世界を私は作ろうとしているんだ」
- 「私は素晴らしい」
というような自己評価を持ったとします。これ相当高い自己評価ですよね。
自己評価が高くなると他者に否定されてもへっちゃら
自己評価が最大限高くなると、「お前バスケ下手くそだなぁ」とか、「お前なんか変な髪型してるよな」とか、「お前同じ服ばかり着てんじゃん」と言われたって、自己評価は当然変化しません。
今までブレブレだった自己評価がブレなくなります。
「あぁうんうん、そうやねん。それがなんかどうしたん?」「髪型変?だから何なん?」「なんか嫌だったらあっち行ったら」とか言えるわけですよ。
要は、いらない事を言ってくる「ドリームキラー(あなたの目標を否定する人)」を徹底無視出来るようになるんですね。
なぜなら、そもそも他人、特にドリームキラーの評価なんか、ゴミほどの価値しかありませんし、自分のゴールの達成に対する自己評価と全く何の関係もないからです。
これができるようになると、基本的に何をやっても、パフォーマンスを常に高い状態に維持出来るんですよ。
人間完璧ではないから、アップダウンがあるのは当たり前ですが、基本的には高い水準のアップダウンなわけですよ。
常に高い自己評価を保ちつつ、何か失敗体験があったとしても、「俺にはそんなの関係ない」「俺は俺で高い目標に向かって進んでいるんだ」「だから俺が自分で評価を決めるんだ」「他人の評価なんか関係あるか」と思えるんですよね。
こうなってくると、もう精神的に楽ですし、めちゃくちゃ早く動けるようになるし、心の防御力はメタルスライムよりも高くなれます。
まとめ:自己評価の定義・自己評価の高め方
という事で、長くなりましたが、自己評価の定義、自己評価の高め方について簡単にまとめると、以下のとおりです。
自己評価の定義
まず、自己評価は後から付いてくるのではなくて、最初から高くすることができます。
なぜなら、自己評価は自分で決めるものであり、他者の評価を混ぜたものは自己評価ではないからです。
自己評価を高めるには目標が必要
自己評価を高めるには目標が必要です。
目標はより大きなものにして、できるだけ1つか2つに集約しましょう。そうすると、脳が目標に向かって効率的に働いてくれるからです。
他人の評価(特にドリキラ)は全部無視
他人の評価、特にドリームキラーからの評価は全部無視してください。
他人からの評価なんか、これっぽっちも関係なくて、良い事を言ってくれようが、悪い事を言ってこようが、自分が決める自己評価に変化を与えるはずは全くありません。
関係ありませんからね、そもそも。
ゴールにそもそも関係のない事でいちゃもんつけてくる奴は、ただのドリームキラー。そんな奴は無視すれば良いのです。
「もうあっち行け」と。
「そんなに気に食わんねやったらなんでずっとついて来んねん。粘着してんねん。お前、俺のファンやろ、実は!」「お前、本当は俺の事を本当は妬んでたり、羨ましいから、そういう事言うてくるだけやろ」と判断しておいてください。
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