失敗した時の選択『自分を許すVS自分を鼓舞する』
今日のテーマは、『自分を許すVS自分を鼓舞する』です。
皆さんは、何かうまくいった時は自分のことを褒めるとして、「じゃあ失敗した時はどうするの?」と考えたことはありませんか?
失敗した時に「まぁ、そんな事もあるわ」と自分を許すのか、あるいは「こんなの俺らしくない。俺なら出来るはずだ。こんなんじゃ駄目だ。」と自分を鼓舞するのか、どっちがいいのでしょう?
あるいは、許すのも鼓舞するのも両方良くて、その使いどころがあるんだったら、じゃあどういう使い分けがあるんだろう?ということも考えられると思うんですよね。
『自分を許す』場面は、自分が疲れて癒やしを求めている時
では、私の場合、どんなふうに使い分けているのかをお話ししますね。
たとえば、どんな時に自分を許すかって言うと、疲れていたり、だらけている時ですよね。
やる気が出ないなぁと。それで、プリズンブレイクをシーズン1からシーズン5まで全部一気に見てしまったと。
夜、本来違う事に使うはずの貴重な時間、作業する為の時間、仕事する為の時間、「それを全て投げ打って全部ドラマ見るのに使っちゃった!」なんてことがあったとします。
そんな時は「まぁ、そんな時もあるわな」と、私の場合はそう言っています。
これ、私の実体験で、なぜかプリズンブレイクを1からシーズン5まで、一気に全部見ちゃったんですけどね。
なぜ、そんなふうに、シーズン5まで観ちゃったんかっていうと、やっぱりどっか息抜きが欲しいというか、今までの日々にちょっと飽きがきたというか、疲れたみたいなことがあるからじゃないですか。
それに疲れたなっていうのがあるんで、癒しを求めて何かちょっと全然違う事をしてみたり。
筋トレで言うところの『チーティングディ』みたいなもんですよね。
『自分を鼓舞する』場面は変化へ向けた行動が必要な時
じゃあ逆に、どんな時に自分を鼓舞するのかという話ですよね。
「あーこれ俺らしくないなぁ」と、「これもっと俺やったらいけるはずや」と。
「こんなんじゃまだまだ!」と、どういう時に私は思うのかっていうと、たとえば筋トレしてる時にコーチと一緒にやるじゃないですか。
ガンガンに自分を追い込むんですけれど、ラスト3.4回ぐらい上がらない。ほとんどコーチが全部自分で上げている。
そんな時に、自分は自分を許すというか「やー、頑張ったから上がらないんだ」とは思わないんですよね。
その時は、多分男性ホルモン的なものが出て、血気盛んな状態なので、「こんなんじゃ駄目だ」と「これじゃあ打ち込み足りない」「これじゃ駄目ではないか」と自分を鼓舞するんですよね。
なので、そういう時は自分を「こんなの俺らしくない」と鼓舞するのかなと。
わかりやすい例で言えば、元々貴方がビル・ゲイツだったとします。
ビル・ゲイツの記憶も残っている貴方がいるとします。
でも、今は日本人で、パソコンとか携帯を眺めているとすると、本来ビル・ゲイツである貴方は「こんなの俺じゃない」もっと本来だったらこういうことをして良いはずだ!と思うことでしょう。
違和感を感じている状態というのは、『認知的不協和』といって、理想と現実のギャップで「不満」を感じてるんですけど、「苦しむ」のとはまた違うかなと思います。
この状態って、現状へのイライラやストレスを糧にして、次の行動を起こしたり、ガンガン変化していくのに凄く必要なものなんですよ。
だから、自分が変化したり、変化するための行動を起こそうとしている時は、自分を鼓舞するのが正解かなと思います。
毎回やることなすこと完璧なんてありえない
まとめとしては、自分が疲れていたり、だらけている時に、それが仕方がないことなのに罪悪感を感じるぐらいだったら、「自分を許す」ことを選んだほうが良いです。
自分が変化したり、変化するための行動を起こそうとしている時は、「自分を鼓舞する」のが正解かなと思います。
たとえば、「子育てでちょっとうまくいかんかった」とか「仕事で失敗した」とか、「ちょっとだらけちゃったな」とか、「今日1日無駄にしたな」という時もあるじゃないですか。
こういう時はとにかく罪悪感を感じないようにするんです。「そういう日もあるわな」と。
ただし、誰かに迷惑をかけるとか、誰かに傷つけてしまった場合は、これは何かちょっと改善が必要だから、「自分は人にもっと優しくできるはずだ。」と自分を鼓舞すれば良いと思うんです。
毎回やることなすこと完璧なんてありません。たまには失敗することもある。
「次こそはもっとうまく行かせるぞ」と、前向きにとりあえず強引に捉えられたら、自分を許しても、鼓舞しても、どちらでも良いんです。