今村前復興大臣が東日本大震災について、「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。」と失言し、辞任する事態が起きました。政治家として、「最大努力」という視点を持つ意味で、これは今村氏の本音と言えますが、全体を仕切るリーダーとしては、同時にもう1つの視点を持って発言することが求められていました。リーダーに求められるメッセージ発信流儀を考察します。
今村復興相が東日本大震災の失言で辞任は当然
こんにちは。ジェネシスコミュニケーションの松尾です。
先月25日、「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。」という、東日本大震災で被災された方々の神経を逆なでし、また深く傷つける失言をした自民党の今村雅弘氏。
復興相としてあるまじき発言であり、即、大臣の辞任に追い込まれたのは当然のことでしょう。
そこで今回は、今村大臣の失言の背景にある政治家の本音と、リーダーのメッセージ発信流儀について考えてみたいと思います。
専門家は天災の被害を最小限に抑える視点で対策を考える
美人すぎる地震学者として知られる大木聖子氏によれば、「地震とは自然現象に過ぎない」というのが研究者としての客観的な見方です。
すなわち、人が住んでいるところで地震が起きるから「被害」を引き起こす天災となるのであり、仮に誰も住んでいないところで地震が起きても、(動植物の被害はさておき)人間社会としてはなんの問題もありません。
人が住むところで起きることで「天災」と呼ばれるのは、地震以外にも、津波、台風、豪雨などがありますね。
では、地震や津波が自然現象であるならば、人間ができることは何でしょうか?
言うまでもなく、そうした自然現象が発生したときに、いかにして最小限の被害に抑えるかという視点で様々な対策を打っておくことです。
大木氏のような地震学者は、自然現象としての地震や津波の起きるメカニズムの解明に取り組み、精度の高い予知や、有効な予防策立案に貢献しています。
例えば、津波対策としては防潮堤がありますし、また速やかに適切な場所に逃げるための啓蒙活動や教育も重要です。
これについては、東日本大震災に伴う津波からうまく逃げることに成功した「釜石の奇跡」の話でも、以前ご紹介致しました。
参考リンク:糸魚川の大規模火災で避難勧告を受けた住民の40%が逃げなかった理由
天災時の「最大努力」は確かに正論だけど…
このように、地震にせよ、津波にせよ、自然現象を「起きないようにする」ことは極めて困難ですから、その後に引き起こされる災害を最小限に抑えるベストエフォート(最大努力)の取り組みを考えるのが、リーダーたる行政や政治家の役割。
したがって、行政や政治家の立場では、「被害をゼロにすることはできない」という大前提の上で対策を講じなければならないわけです。
今村氏の「東北の方で良かった」というのは上記のような発想が根底にあって、思わずポロリと出てしまった「本音」であることは間違いありません。
もちろん、だからといって彼の失言が許されることにはなりません。行政や政治を司る立場の人間は、社会や国家全体という視点でだけではなく、国民一人ひとりの感情についても同時に配慮しなければならないのです。
国民としての私たちにとっては、社会全体、国全体のことが大事なのは頭ではわかっていても、感情的にはまず自分の身近な大切な人々、家族、友人こそが最も大切なのです。
自然災害や事故で肉親を失った人の多くが感じるのは「なぜ私の大切な人の命が奪われなければならなかったのか」ということ。他人の命に対して気を配る余裕はほとんどなく、ただただ身内の死が悲しい、辛いという気持ちが残り続けるのです。
ですから、行政や政治家にとってはたくさんいる被害者全体を考えるだけでなく、大切な人を失った被害者一人ひとりの気持ちに配慮した言動をしなければならない。これこそが、「被災者に寄り添う」ということなのです。
現実社会ではトリアージによる全体最適が必要な場面もある
さて、個人よりも全体を優先しなければならない状況は他にもありますね。
例えば、大事故によって多数の被害者が出たとき、受け入れる病院側では、治療の順番を「トリアージ」という考え方で決めます。トリアージとはフランス語で「選別」という意味です。
トリアージは基本的に「重症度」と「緊急度」によって治療すべき人の優先順位を決定し、色で選別します。
シンプルに説明すると、「赤」は、重篤な状況ですぐの治療が必要な方。「黄」は、重篤ではないものの生命の危険が高まる可能性もある方で、赤の次に治療すべき方。緑の方は、生命の危険はないため、ひとまず赤、黄の治療が終わってから治療を行う方。そして「黒」は生命反応がなく、死亡しているとみなされる方であり、治療を行いません。
黒の方の中には、治療を行うことによって蘇生する可能性があった方がいるかもしれません。また、緑の方の中には、生命の危険はなくても、激痛にもがき苦しんでいる人もいるかもしれません。
それでも、医師も看護師も限られた人数しかいない体制で多数の患者を診なければならない状況では、「重篤だが助かる見込みのある人を優先し、逆に生命の危険のない人はひとまず後回しにする」という、全体的視点での対応を行うしかないわけです。
指導者には全体最適と共に個の感情へ寄り添うことが求められる
このトリアージの思想は医療の世界だけではなく、企業においても見られますね。企業の存続のために、コア業務の社員は残し、それ以外の社員を解雇するというのは、全体の最適化のため、個人に対してやむを得ず犠牲を強いることですからトリアージのようなものと言えます。
社会に生きる私たちは、全体維持のために個が犠牲にならざるを得ない状況がしばしば起きます。
私たちは決して利己的な存在ではなく、他者のために喜んで犠牲になることもいとわない「利他性」を持っていますから、甘んじて受け入れるのです。
だからこそ、企業経営者をはじめとした組織のリーダーは、こうした個人の感情に寄り添うことを決して忘れてはいけないのです。
いわんや、国家全体を仕切る立場にある行政のリーダーや政治家をや。ということは、言うまでもありません。
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