戦国時代から続く松井建設は「変化するものだけが生き残る」の体現者

企業分析

 “社寺の松井”と評される同社は、1586 (天正14年)創業で昨年430周年を迎えた、独立系の老舗建設会社です。同社の沿革を見ていくと、同社が歴史のタイミング毎に、新しい分野にチャレンジし、変わり続けてきたことが非常に特徴的です。同社の変化し続ける歴史から私達は多くを学ぶことができるのではないでしょうか?

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創業430年・戦国時代から続く建設会社あり

 東京商工リサーチの調べによると、2017年に創業100年以上を迎える老舗企業は、全国で3万3,069社あることがわかっています。※

 ただし、94.1%の企業は「創業100年以上200年未満」であり、400年以上の歴史を誇る会社は日本に472社しかありません。

 このうち最も最古の企業は572年に創業した金剛組(建設)ですが、同社は2005年に高松建設の子会社となっており、純粋な独立会社ではなくなっています。

 さて、金剛組と同じ建設業界の老舗企業を見ると、もう1つ注目すべき老舗企業があります。

 それは、松井建設です。

 “社寺の松井”と評される同社は、1586 (天正14年)創業で昨年430周年を迎えた、独立系の老舗建設会社です。

 同社の沿革は日本の歴史と共にあり、その変化への対応は目をみはるべきものがありますので、ご紹介したいと思います。

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松井建設と日本の歴史〜生き残りと変化の連続

1587年:前田利長公の命を請け、越中守山城の普請に従事

 1587年、豊臣秀吉が九州を平定し、天下統一をほぼ手中に納めた年に、松井建設は誕生しました。

 秀吉が惣無事令(大名間の私闘を禁じた法令)をこの年に制定したことからも、戦国時代の終焉を迎える変化の時に、松井建設が誕生したことがわかります。

 松井建設は江戸時代・太平の世が続く間、江戸時代の終わりまで前田藩一筋に仕え、その後も大正の初めまで社寺建築一筋に励んできました。

1923年:関東大震災を期に社寺建設から一般建築へも業容拡大

 ところが、1923年(大正14年)に関東大震災が東京で起こります。

 第十五代松井角平は、関東大震災に遭遇し、帝都復興こそ建設に係る者の使命と強く感じ、東京進出を決意し一族を説得、東京に松井組東京出張所を開設することになりました。

 この年から、松井建設は一般建築へも業容を拡大しています。

1947年:連合国軍の寄宿舎を受注

 終戦後の荒廃した日本において、松井建設は1947年(昭和22年)に、成増地区連合軍家族宿舎(グラントハイツ)第三期工事の受注を受けました。

 更に、1949年には、米国W・Eダン社よりコンクリートブロックの製造技術を導入、同建築を普及させることに成功します。

 戦後、松井建設はいち早く海外の優れた技術を導入したのです。

現在:社寺、都庁、ソーラー事業まで

 松井建設は現在、社寺の修復請負はもちろん、都庁のような大型建築物まで幅広い事業を請け負っています。

 前田家がその攻略に大きく寄与した、北条家の小田原城の天守閣から皇居に至るまで、特に社寺の多くは松井建設によりメンテナンスが行われています。

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チャレンジと変化を続けた歴史が今に繋がる

 松井建設を見ていると、戦争、天災をはじめ、大きな時代の変化が起こす幾多の荒波を乗り越えて、今に続くことが理解できます。

 そして、同社はそのタイミング毎に、新しい分野にチャレンジし、変わり続けてきたことも非常に特徴的です。

 それぞれの時代で、同家を継ぐ経営者は様々な苦難をチャンスに変え、とにかく生き残ることに並大抵ならぬ執着を見せたことでしょう。

 ちなみに同社の業績は、直近の3期連続で増収、利益ならびに受注高も順調な推移を見せています。

 戦国時代のご先祖様は、今の世でも活躍する同社を見て何を想うのでしょうか?

※東京商工リサーチ 全国「老舗企業」調査
http://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20161202_01.html

※松井建設
https://www.matsui-ken.co.jp/

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