クリスマスがもうすぐそこまで近づいてますね。街によくあるキリスト教の壁看板に「誰かが見てござる イエスキリスト」と書かれているのを見たことはありますか?多くの場合、この言葉の意味は「隠れてコソコソ悪いことをやっても誰かが見ている」と解されがちですが、実は「”誠実であること”だけを念頭に」生きている人を応援する言葉とも取れます。これからの時代はまさに誠実さが鍵となる時代です。
誰かが見てござる 貴方は意味をどう解釈する?
クリスマスがもうすぐそこまで近づいてますね。
クリスマスと言えば、キリスト教の開祖であるイエスキリストの生誕祭と言われています。イエスキリストといえば、こんな思い出が私にはあります。
学生の頃、山形県の庄内町にある実家へ里帰りをした時、自転車で用足しに行きました。
裕福ではなさそうな家のトタン塀に「誰かが見てござる イエス・キリスト」と和文の書体で書かれた板の掲示板が掛けてありました。
その時は単純に、悪戯や立小便が余りにも酷いので、家主が困って立て掛けた掲示板なのかなと思いましたが、今では、学生達に大脳の働きや直観力や潜在意識の仕組みを講義してきたので、その解釈が変わりました。
誠実に努力を積み重ねれば誰かが見てござる
2008年4月、私が教授をしていた東京造形大学に、初めての若き「卒業生学長」が誕生しました。
映画監督として「カンヌ映画祭」で国際批評家賞を受賞するなどの世界的に活躍をしている諏訪敦彦(すわのぶひろ)氏で、夫婦は私の授業で知り合った教え子達です。
私が当時、学生委員会の委員長をしていたので、就職ガイダンスの時に呼んで講演をしてもらいました。
講演の話は「私としては、自分の出来ることを、最後まで諦めずにやっただけです。食っていけない時代もありましたが、一生懸命やっていたら、映画監督も、大学の非常勤講師も、今回の学長も推されて引き受けただけなんです。」でした。
自分は有能ではないが、何でも一生懸命やることだというのが趣旨でした。
私は諏訪学長から聞いていたある話を、同じ就職ガイダンスでしました。ある映画製作の時、監督から「お前は駄目だ!仕事なんか辞めて帰れ!」と、ボロクソに怒鳴られて辞めて行ったスタッフが大勢いました。
諏訪学長も同じように怒鳴られましたが、自分が出来ることは何だろうと考え、「それは映したフィルムの編集だ!」と思い、徹夜でやって持って行ったそうです。そのことで、少しは評価してくれたのか、クランクアップの時に次の仕事を推薦してくれたそうです。
冒頭の話に戻りますが、「誰かがみてござる イエスキリスト」というあの看板は、隠れて悪いことをしている人に釘を指すものではなく、誠実に努力を重ねて良いことをしている人は、必ず誰かが見守ってくれているというメッセージだと、今は確信しています。
悪だくみも誠実さも明るみに出る時代が来た
最近のニュースで思うのですが、大会社でも個人でも悪行が世界中にさらけ出されることが多くなったような気がします。
一昔前であれば闇に葬られてしまうような情報も明るみに出やすいのは、インターネットの発達により情報の格差が徐々に狭まっていることが要因の1つかもしれません。
日本人は、世界中から「エコノミックアニマル!」と呼ばれ、”お金儲け主義”に徹した時代がありました。敗戦から立ち上がり、先進国の経済状況と肩を並べ、そしていくつもの国を追い越した背景にはやむを得なかったかもしれません。
しかし、今や、善悪や誠実さや良心が潜在意識のセンサーで感知出来る人達が増えてきました。
悪いことをしても簡単に明るみに出やすい分、良いことをしていれば、より誰かに認めてもらいやすくなっている時代が到来しているとも言えます。
これからの会社は、製品でも商品でもサービスでも”誠実であること”だけを念頭に仕事をすべきです。お客様の『誰かが見てござる!」ですよ。