生きる実感のない生は、緩慢な死と同義である
生きる実感のない人生を送る人は少なくない
生きる実感のない人生を送っている人は、決して少なくないでしょう。もしかしたらあなたもその一人かもしれませんね。生きている実感というのは、端的に言えば感情の動かない時間を多く過ごす生き方のことです。感情が動くというのは、怒り、悲しみ、楽しさ、驚きといったものです。
長年、1社に勤める会社員をやっている人ならおわかり頂けると思います。最初は緊張感を持っていた人でも、やがては慣れてきます。ミスをせず、仕事も卒なくこなして緊張感もなくなりますから、気持ちは楽になります。
しかし、楽だからといって「楽しい」というわけではないのです。「うまくいくかどうかハラハラ、ドキドキ」という状態は気持ちは辛いですが、その反面不思議な高揚感や楽しさが宿ります。なぜ楽しいかというと、感情が動いているからです。つまるところ、生きている実感を得るというのは、感情が動いているかどうかによるところが大きいと言えるわけです。
生きる実感のない人生は「緩慢な死」と同義
生きる実感のない人生など、緩慢な死と同義であると私は思います。ただ死んでいないだけの無意味な生には、楽しさも生きがいもなくただ生命活動音停止を待つだけといった時間になるでしょう。
生きていても楽しくない、と思う人はまず自身の感情を動かすことを考えて頂ければと思います。
私も昔はこの緩慢な死に精神がやられてしまい、休日は起きた後夜日が沈むまで部屋でボーッと何をするでもなく、「自分はいつ死ぬんだろうか?」「なんのために生まれたのか?」という哲学的な問いに対して、自己内観をし続けることをしていました。
今はそのような緩慢な死から目覚めて、生きている実感を得ながら生活ができているのは感情を動かす重要性に気づいたからです。
創造と発見は人生最大のエンタメである
能動的なエンタメを見つけよ
多くの人は受動的なエンタメこそが、人生の楽しさと考えています。受動的なエンタメとは、ゲーム、アニメ、動画鑑賞、旅行といったものです。
「田舎は娯楽がないから、都会に住みたい」という人が多いのは、都会の娯楽とはすなわちこの受動的なエンタメを指していることにほかなりません。
しかし、私は真のエンタメとは受動的なものではなく、常に能動的なものであると考えています。
私にとって稼いだお金の使途の一部は「情報」です。情報を買うことで自分の知らなかった世界の入り口を見つけ出し、そこから発見と創造という極上の娯楽への扉を開けることが出来るからです。
能動的に情報を追うことは何よりも楽しい
たとえば有用な投資について情報を購入したとしましょう。その情報に触れて「未知」→「既知」になった瞬間に、開拓しうる発見と創造の世界に入ることができます。
他の投資案件との水平比較をして、どちらがどう優れているのか?この投資案件の生まれた背景は?他の人がやっていない手法で取り組むと、どのような結果を得ることが出来るのか?
この開拓していくプロセスは、世の中のいかなる娯楽の総和を凌駕するほどの楽しさに満ちています。
人類の歴史とはすなわち、探求の歴史です。ヨーロッパ人の探究心は大航海時代において、アメリカ大陸発見へと導きました。開拓しつくされたように思えるこの世の中は、まだまだ未知に溢れています。
人間の知的好奇心は本能的なもので誰しも持っています。その知的好奇心を持って開拓に取り組むプロセスで得られる幸福度の大きさは、受動的なエンタメで満足している人にぜひ知ってもらいたいと思えるほど、深く広大な楽しさで溢れています。
人の敷いたレールという受動的なエンタメに甘んじるな
「勉強」は能動的なエンタメの入り口
私は受動的なエンタメとは、人の敷いたレールに過ぎないと思っています。若い人はそれでも十二分に楽しめると思いますが、どんな人でもいずれはテレビやゲームのような受動的なエンタメから得られる楽しさの限界に気づくと思います。
私はそれを23歳で気づくことになりました。何をやっても楽しくない、生きる目的がない、というこの世の地獄の中から見出したのが「勉強」です。最初に掴んだのは英語でしたが、英語を身につけるプロセスの中で発見と創造、探究心に惹かれるままに未知の開拓をする大航海時代のヨーロッパ人が持っていたであろう心持ちでまさに寝食を忘れて取り組んだものです。
受動的なエンタメも能動的なエンタメに転換できる
私は今も時々、映画やゲームという受動的なエンタメを楽しみます。しかし、それは受動的に楽しむだけに完結することはありません。SF映画を見た後は宇宙物理における法則や、地球2.0と呼称される移住可能な惑星探査の研究に勤しみます。
ゲームをプレーすると、人の感情を楽しませる創意工夫とテクノロジーに関心を持ち、その分野についての研究が始まります。つまり、受動的なエンタメも能動的に開拓していくきっかけに過ぎないということです。
人生の究極の楽しさは、間違いなく発見と創造、そしてその過程で感情を動かして生きる実感を得ることであると思っています。
もうとっくに受動的なエンタメで人生に飽き飽きしてしまった人にこそ、持ってもらいたい概念であると強く感じます。