なぜ私達は他人のミスに厳しいくせに、自分のミスには言い訳したがるのでしょうか?その答えは、心理学の「根本的な帰属の誤り」に求めることができます。人間は行動の是非を判断する際に、他人の行動は性格や個性で判断し、自分の行動を環境や状況で判断しがちな習性を持っています。これゆえ、判断にはズレと非効率が生じます。どうすれば、この状況を打破できるのでしょうか?
他人の犯したミスの原因追求はなぜか人格攻撃へ変わって行く
仕事が上手く進まない時、プロジェクトにミスを発見した時、私達はどこにその原因があるのか考えます。
大抵の場合、その原因は、ミスが起きている箇所を担当する人間への非難に変わります。
特に、ミスの原因が自分以外の誰かに起きていたとして、その人が自分の思い通りに動かないと…
「◯◯さんはトロトロと仕事し過ぎなんだよ。」
「アイツ、何度言っても変わらないな。本当に能力なさすぎ」
こんな感じで、ミスがなぜ起きたのか原因を考えて、課題を解決するはずだったのが、人格攻撃へ変わることが殆どです。
非難が非難を産み、これがエスカレートすると、その職場では人間関係がギスギスしはじめ、生産性もどんどん非効率になっていきます。
自分の犯したミスの原因追求はなぜか客観的に考えられる
かたや一方で、ミスの原因が自分にあった時、私達はどのようなことを考えるでしょうか?
周囲から「今回のミスは貴方に責任がある。何やっているんだよ。」と言われても、自分は心の中でこう考えているはずです。
「このプロジェクトは、本来なら◯人で✕日かけてやれば、きちんとうまく行ったはずだ。」
「それは違う。最初の契約の段階で△△の条項を入れておけば、今回のような不利な状況は生まれなかったはずだ。」
私達は自分がミスの原因対象となった時、この状況を冷静に分析し、しかも多くの場合、この分析はとても正しかったりするものです。
他人の行動と自分の行動分析にはズレが生じる〜根本的な帰属の誤り
他人と自分、対象が変わるだけで、なぜこんなにも行動の是非に関する判断のズレが生じるのでしょうか?
なぜなら私達は、
- 他人の行動に対する分析⇒性格や個性で判断しがち
- 自分の行動⇒環境や状況で判断しがち
という習性をもっているからです。
この習性は心理学でも、「根本的な帰属の誤り」という言葉で表されています。
人の行動を憎む前に仕組みの欠陥をまずは憎め
ミスが起きた時に、もしも人格攻撃が始まるようであれば、その場で起きているのは、根本的な帰属の誤りなのです。
状況判断にズレが激しければ激しいほど、解決までにムダなお金と時間を垂れ流さざるを得なくなります。ビジネスではとてもナンセンスな話です。
このような状況を打破するには、自分がミスを起こした時の判断と同じで、チーム全体がその時の環境や状況に目を向け、これを改善する仕組みを作る必要があります。
つまり、企業風土はもちろん、仕事の実践においてミスが出やすい行動(他人であろうと自分であろうと)の現れる、システム自体の欠点に目を向け、これを改善する必要があります。