フィギュア男子の町田樹選手が昨年末の全日本選手権を最後に引退した。競技者として一定の地位を築きながら、別の人生を早期に選ぶ姿は、100メートル競争選手であることを学生時代に諦め、400メートルハードルに転身した為末大と重なる。ビジネスでサンクコストを阻止するための姿勢を、アスリートの二人から学べる。
町田樹の引退表明時に思い出した為末大の本
フィギュアスケート男子の町田樹(まちだ いつき※たつき)選手が昨年の12月28日に行われたフィギュアスケート全日本選手権で電撃引退を発表した。
昨年のソチオリンピックで5位入賞、その1か月後には世界選手権で2位の表彰台に登った優秀な選手であり、これから更なる高みを目指すと目されていただけにニュースは驚きをもって報じられた。
引退後は早稲田大学大学院へ進み、スポーツ科学の研究者となることを目指しているという。
ニュースを見た時筆者の脳裏に蘇ったのが、以前拝読したことのある陸上競技ハードルの元選手である為末大(ためすえ だい)氏の「諦める力〜~勝てないのは努力が足りないからじゃない」という本であった。
著書では、為末氏が中学校時代に100m走で全国一位となったにも関わらず、高校のジュニアオリンピック選手権に出場した際に、異人種との身体能力の壁を感じたことで、日本人の走りでは世界と戦えないと感じたことを契機に、ハードルへ転身したことが綴(つづ)られている。
彼はその時の決断を下すために要した「諦める力」を、誰しもが必要としていることを、本の中で何度も触れる。「人間の能力には優劣があるため、自分を活かせる分野を現実的になり、早く見つける」ことの大切さを説いてくれるのだ。
話は戻り、引退にあたっての挨拶文を読む町田選手の表情は清々しく、断腸の思いで突然自分に訪れた引退を惜しみ、泣きじゃくるスポーツ選手の引退会見とは対を成していた。
町田選手も自分の能力を他者と冷静に比較し優劣を見極め、引退後のキャリアについて苦悩した分、大学に合格し、今後について結論が出たときに、あれほど清々しい表情を讃えられたのだろう。まさに前向きに生きるため「諦める力」を有効活用したと言える。
企業のサンクコストに対する姿勢も同じこと
経営者にとって、為末氏と町田選手の姿勢は、サンクコストに対する向き合い方のよい事例と言える。
サンクコスト(埋没費用)とは、「事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行ったとしても回収できない費用」である。この費用には、文字通りのお金だけではなく、人材、何よりも時間というコストが含まれる。
特に「時間」だけは、後で取り返すことが絶対に出来ないコストである。
多くの企業はサンクコストの拡大を早期に阻止することに対して、なぜか消極的になってしまう。事業への思い入れもあるかもしれないが、複数の社員や外部人員との関わりで消費した時間、もっと言えば彼らの人生を背負っていると経営者が気負いすぎている場合に、サンクコストは拡大する傾向が強い。
そのため、停滞していたり、ジリ貧になることしか見えない事業をいつまでも継続しているケースが往々にしてある。
もちろん赤字でも業界に可能性があったり、将来的な社員の能力を育成するためのサンクコストであり、経営に甚大な影響を与えることがない、もしくは自分が余裕を持って補填できるならば、話は別だ。続けることで花開く場合がある。
しかし、どうひっくり返しても勝機が見いだせないなら、人材個々が持つ能力に応じて、他の部門への配置換えや、部の閉鎖、人員の整理を思い切って遂行する決断が必要だ。新しい事業や利益の出る分野へ時間と人材を集中させたほうが、会社にとってはプラスとなるからだ。
この判断を行うときに必要とされるのが、先ほどご紹介した為末氏の唱える「諦める力」である。
他者との優劣比較において、自社の能力やリソースは勝てる要因を持っているか?続けることで、ニッチでもどこかの分野でナンバーワンになれるのか?などの問いはスポーツと同じで、結果が全てのビジネスの世界でもサンクコストの拡大を阻止する有用なものだ。
今までの経験を活かし更なる高みへ行こう
為末氏は、引退後も「諦める力」により主体的なキャリア選択を行っている。
スポーツ選手の多くが引退後はタレント活動や解説者、指導者など狭い領域を本業とするのに対して、為末氏はそれらの選択肢を諦めた。
コミュニケーションの場となる「為末大学」の開設、地方地域で使われていない廃校や宿泊施設、また稼働率の低い運動施設を活用したスポーツ合宿用の宿泊施設を展開するなど、オリジナル活動を多岐に渡り展開している。
オピニオンの発信力は現役時代以上に強い。
町田選手も今回の大学院進学によって、数年後には独自の活動領域を展開することになるだろう。心から彼の選択を応援したい。
最後に事業が失敗して回収できないサンクコストが生じたとしても、唯一埋没しないものがある。それはサンク(埋没)した事業で得た経験だ。
経験を糧にし、新たなビジネスを早期に展開することが自社を更なる高みへ導く。
※名前の読み違いを修正いたしました。(7月17日修正)